2015年01月27日

石巻の現状から考える被災地支援と組織開発

1月23日、震災から4年近くが経つ石巻市を訪れた。

瓦礫はすでに完全撤去されているが、草ぼうぼうの野原がひろがる景色が、 もの哀しい。
(↓は、元は住宅地だった場所)
野原


しかし、その横では、壊滅的被害を受けたはずの日本製紙の工場が、
元気よく煙突から煙を吐き出している。
大企業のレジリエンスと、地域コミュニティのはかなさとが、あまりに対比的だ。

ちょうど今は一年で最も寒い季節。
陽射しは穏やかだったが、風が吹くたびに、身が縮こまる寒さだった。
そんな中で見た仮設住宅。
なんと、3分の2くらいの人が未だに狭い仮設住宅での生活を余儀なくされているという。
こんな寒さにプレハブ小屋とは!
それも、ひと冬の我慢だったはずが、「あと1年」「あと1年」と言われ続け
4年もたつなんて、どれほどにやるせないだろう。
テレビでよく見る仮設住宅だが、この寒さの中で実物を見ると衝撃がはしる。

もちろん、建設中や出来立ての真新しい復興住宅もいくつか見かけた。
ただし仮設住宅がなくなるには少なくともあと2年はかかるようだ。
ずいぶんとゆっくりではあるが、一応、こうしたインフラは徐々に
回復していくのが目に見えてわかる。

しかし、ハードウェアが整ったら、もうそれでいいということではない。
目には見えにくいソフトウェアの部分は時間と共に回復するとは限らない。
むしろ悪化することだってある。
阪神淡路震災では、子供たちのPSTDの症状は、3-5年でピークに達したというし、
東北でも同様の事例が明らかになりつつある。

たとえば、1年前に河北新報社が宮城県の各校長に実施したアンケートでは、
被災した宮城県沿岸部の小中学校の約7割が、自校の児童・生徒に震災の影響とみられる
問題が現在もあると受け止めていることが判明した。
8割以上の校長が「事態は深刻」と危機意識を持ち、その多くが、問題が時間と共に
解決するのではなく、長期化することを懸念しているそうだ。
さらに、そうした子供たちを指導する学校の先生たちも被災者であり、
心の問題を抱えている人が少なくないと、記事の中で専門家が指摘していた。
(出所:http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201401/20140101_15005.html

行政は、インフラの整備はできても、コミュニティづくりや生活再建、
心のケアといったソフトウェアの部分までにはとても手が回らないそうだ。
そこで民間の継続的支援は必要だが、そのやり方は簡単ではない。
震災直後のような、大勢のボランティアによる衣服の配布やら掃除の手伝いやら
といった単純な構図ではないからだ。
さらには、支援しすぎることで、被災者の自立を阻害してもならない。
復興に向けた住民主体の活動を、そっと後押しをするという微妙な支援が求められる。
自立支援を信条とするJENの真価が問われるときだ。

この状況は組織開発の仕事とよく似ている。
企業でも、設備だ、商品だ、制度だといった目に見えるものに予算はつきやすい。
が、社員の意識ややる気、階層間や部署間のコミュニケーションやコラボレーションなど
といった目に見えない無形の企業資産を疎かにしては、やがて問題が深刻化・長期化し、
必ず業績にも悪影響をおよぼしていく。
そうならないよう、社員が主体となって無形資産を構築する取組みを
組織開発コンサルタントは、そっと後押しをする。
うまくいったら、それはコンサルタントの手柄ではなく、クライアントの社員の手柄として認める。
最後には、自分がクライアントに必要とされなくなることを喜びと感じて終わる。
企業相手にやっていると、ちょっと因果な商売かなと思うときがなくないが、
石巻往訪が改めて組織開発の意義を思い出させてくれた。

<番外>
牡鹿半島の佐須浜にある浜友食堂でいただいた特別メニューの豪華ランチ
(コミュニティ強化と地元住民の収入創出のために、JENが設置と運営をサポートした)
もちろんすべて地元産
lunch

浜食堂の看板犬のコロちゃん。暖房の前でぬくぬくする姿。
dog
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2015年01月04日

イタリアのカフェで

10年ぶりの犬がいない大型連休の年末年始、超久しぶりに海外観光旅行に
行くことにした。

本当は私はアフリカに行きたかったのだが、エボラ熱が怖いと夫が反対して、
行き先はイタリアのベネチアとフィレンツェに落ち着いた。

数々の歴史的建造物や世界有数の美術作品、そして優雅なベネチアの街並みなど
に感動したのはもちろんのことだが、カフェおたくとして、見逃せなかったのか
カフェ文化。

イタリアにはスターバックスがないとは聞いていたが、本当にない。
いやー、スタバが視界に入らない都市の風景って久しぶり見た気がする。
とても新鮮。

アメリカだったら、100mごとにスタバがあるし、日本だったら、
スタバ、ドトール、プロントのいずれかがどこにでもある。
そして、イリーなどのイタリアンブランドのカフェすらあるが、
イタリアでは、スタバのみならず、国内外のブランド関わらずチェーン店が一切ない。
あるのは個人商店の個性的で粋な店。カフェおたくにはたまらない!

観光地としては、イタリアのほうが絶対好ましいだろうが、資本主義論的にいえば、
資本が集約されておらず、資本主義経済が十分に発達し損ねたということになろう。
そして、現在のイタリアは経済破綻の危機にさらされていて、
実際、イタリア人の知人も仕事が見つからないと嘆いている。
資本主義と文化の両立というのは厄介な問題だと改めて実感。

ところで、カフェ(というか正確にはバール)でエスプレッソを立ち飲みしながら
おしゃべりするのが、イタリア人スタイル。
一方、観光客としては、歩き疲れて一休みしようとカフェに入るわけで、
立ち飲みはありえない。そこで席に座って、エスプレッソやカプチーノをいただくのだが、
アジア系観光客は席についた途端にスマホだ。
自分もスマホをちょっとは見たが、、、でも、他の人たちは、席についている間ずーっと
無言でスマホを見ている。かなり異様だ。
せっかく来たのだから、少しは観光の感想を述べ合うとかしてはどうかなあ。
こういう感性の民族だから、日本や中国にはスタバが溢れてしまうってこともあるのかな。

下の写真はフィレンツェのカフェでほおばった「ピアディーナ」
イタリア北部の無醗酵の平焼きのパンで、ピザよりも歴史が古く、
12〜13世紀頃からある郷土料理だって。ルッコラがたくさん!
ピザ.JPG
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2014年11月03日

エチオピア?

約1か月前の話になるが、エチオピア人の妻を持ちアメリカに住むイギリス人の友人が
来日中に、エチオピア大使公邸でのパーティに誘ってくれた。

エチオピアといったら、日本人になじみがあるのはコーヒーとマラソンくらいかと
思うが、パーティの趣旨も、「東京オリンピックでのアベベ選手の優勝50周年を祝う」
ということだった。

もちろん、アベベ選手を私はリアルタイムで観ていたわけではないが、その武勇伝は
記憶に刻まれている。確か裸足でマラソンを走って金メダルだったはずと思ったが、
それはローマオリンピックのときで、東京オリンピックでは「東京の道路には
ガラスの破片が落ちているかもしれないから裸足はやめて」と関係者に懇願され、
靴をはいたとか。
ふーん、でもローマの道路にはガラスの破片は落ちていないのかな?

パーティでふるまわれたエチオピア料理はとっても美味だった。
特に、殻粉を発酵させたインジェラという食べ物は、ふわふわとしたクレープみたいで
格別。このインジェラで、肉や野菜のおかずを挟んで手で食べるのが
エチオピア・スタイルだが、慣れない自分にはフォーク無くしてはちと難しい。

エチオピア航空の人も来ていて、近く、日本からの直行便を飛ばすので大忙しだと
言っていた。
週に3便というから、果たして日本からエチオピアに行く人がそんなにいるのかと
首をかしげたが、アフリカ大陸のハブとして、他国への乗り換えに使えるのだと聞き
納得した。

後日、ネットで調べてみると、これまで日本からアフリカへの直行はエジプト便が
あったのだが、エジプトの政情悪化によりストップしているという。
それに代わる形で出てきたのがエチオピア便というわけだ。
しかし、エチオピア航空の運行は、どうも最初は夏ごろの予定だったのが、
遅れに遅れて年内に飛ぶかどうかの瀬戸際の模様。

2014年は年頭の安倍首相のアフリカ訪問に始まり、6月には第1回アフリカ経済戦略会議が
日本で開催され、アフリカとの経済交流元年ともいえる年だった。
きっとその勢いの中で出てきた日本ーエチオピア便の企画なのだろうが、
なかなか飛ばないのは、エボラ熱の影響だろうか。

エチオピア人を妻に持ちアメリカに住むイギリス人の友人からは、今度はエチオピアの
国に連れていってやると言われている。
そして、エチオピアと日本をつなぐビジネスを立ち上げたいから一緒ににやろうとも。
もちろん、私がそれに関わったとしても、PFCの仕事の妨げにならない程度にしか
できないが、何事もご縁。Why Notという心境である。

また、エチオピアの隣国には、(私が代表理事を務めるNGOの)JENが出動している
南スーダンもある。いつか視察に行かなければと思っていたところだ。

アベベくらいしか頭に浮かばなかったエチオピアに親近感が沸いてきた1日となった。

I bless the rains down in Afrika
Gonna take some time to do the things we never had
(Africa by Toto http://www.youtube.com/watch?v=NMYOlc4Fvx0)
・・・この歌、大好き
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2014年08月31日

再生JALに見た真実の瞬間

今年の夏休みは、沖縄の西表島に行った。
イリオモテヤマネコには残念ながら遭遇することはできなかった。

西表島までは、那覇経由で石垣島まで飛び、石垣島から西表島へはフェリーで行くという旅程だったのだが、那覇→石垣島の飛行機が整備の都合で1時間遅れるというハプニングがあった。
那覇の空港で、遅延のアナウンスを聞いたときは、焦った。
石垣島から西表島の最終のフェリーに間に合わないかもしれないという事態だったからだ。

そこで、旅をアレンジした旅行代理店(JTB)、西表島で泊まるホテル(星野リゾート)、そして飛行機会社のJALの3社にとりあえず事情を訴えてみた。

旅行代理店とホテルの電話での対応は、型どおりのもので、大した助けにはならなかった。

驚いたのはJALの対応だった。まあ、元はといえば、JALの飛行機が遅れたせいではあるが、アメリカなどでは、飛行機が1時間遅れようと10時間遅れようと、飛行機会社からは謝罪のことばの一つすらないのが当たり前である。
ところが、JALはといえば、何名もの人が連携プレーをして最大限の努力をしてくれた。
グラウンドスタッフの人は、フェリーの会社に連絡を入れて、ぎりぎりまで待つようにお願いしておくと言った。フェリーの詳細情報で確認したいことがあると、わざわざ機内にまで乗り込んできたスタッフもいた。
機内のCAは、着陸したらすぐに私たちが出られるように荷物を前のほうに運んでおいてくれた。
石垣島に到着して飛行機から一歩踏み出したところで、待っていたスタッフが「さあ!行きましょう!」と、空港内を一緒に走ってくれた。
港に行くまでのタクシーをスタンバイさせていると言う。
さらには、タクシーに乗り込む前には別のスタッフの人が駆け寄ってきて、名刺を渡しながら、このように告げた。
「もしフェリーに乗れなかったら、お電話をください。当社持ちで石垣島のホテルを手配します。タクシー代も当社が負担させていただきます。」

いやあ、ここまで頑張ってもらったら、感動するしかない。
たとえ、フェリーに間に合わなかったとしてもネガティブな気持ちは一切生じてこない。
(結局、フェリーには間に合った。。。)

1980年代に「真実の瞬間」というスカンディナビア航空の再生物語が出版されて、ずいぶんと話題になった。それは、顧客の評価というのは、サービスの在り方の一瞬で決まってしまうということを言っていた。つまり、スタッフがちょっとでも横柄な態度を見せたときに、その会社の評価は決まるということだ。
JALは最近、高級路線を追求していて、シートの空間を拡げたり、機内食を豪華にしたり、ということがよく報じられている。そうしたハード面のサービス向上に負けずとも劣らない人的サービスを見せたことに拍手喝采、まさに私にとっての真実の瞬間であった。

一方の、旅行代理店とホテルだが、いくら飛行機が遅れたのは飛行機会社の責任とはいえば、もし自分たちのミッションを「楽しい旅のお手伝い」などと定めているのであれば、このような瞬間に何ができるかを必死で考えるスタッフを育成してはどうかと、最後にチクリ。

西表島で、小次郎さんという名の水牛に引かれて牛車で、離れ島まで海を渡る。
小次郎さんに「夏休みなんだから、そんなあくせくしなさんな」と言われてしまうね。水牛1.JPG水牛2.JPG
posted by ルークブログ at 21:17| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月28日

メキシコのピラミッド

今日のテレビのニュースで、メキシコのテオティワカンを観光する安倍首相が出ていた。

私も、メキシコの遺跡を20数年前に訪れたが、人生で行った数々の旅行の中でも
最も印象に残る旅の一つだった。
何しろ、今から2000年も前に人間が成した業を見てとにかく肝をつぶす。
驚くのはスケールの大きさではなく、ピラミッドから見てとれる古代人類の知恵の
豊富さだ。
特に天体観測に基づいた暦の正確さは有名だし、4万種にも及ぶ文字も有していたらしい。

ただテオティワカンは、人(観光客)が多すぎて、今一つ雰囲気にひたれない。

それに対し、チェチェン・イッツァのピラミッドや、ジャングルの中にある隠れ家的な
パレンケのピラミッドは、もっと静かで、すごく良かった。

これらピラミッドのそばには、肘をついて膝を立てて横たわる人の形をしたチャックモール
の像がある。神社の狛犬のような存在かと思いきや、とんでもなかった。
神々へのお供えとして、人間の心臓を置くためのものだという。

また、チェチェン・イッツァには、ピラミッドに隣接したところに競技場があり、
その競技で勝ったチームが、神々への生贄になったという。
負けたチームではなく勝ったチームなのは、生贄になるのは名誉だったからとか。
最初は生贄と聞いて、「高度な文明を持ちながら何故こんな残酷なことをするのか」
と思ったが、当時はこれが残酷なこととは考えられていなかったのだろうか。
どう考えても、生きたまま心臓をえぐり取られたら苦しいはずなのだが、、、

競技場の観客席に座って、そこに古代マヤ人がサッカーが何かをしているところを
イメージしてみたり、生贄になる人の心境に思いを馳せてみたりしていると、
タイムトリップするような感覚に襲われたものだった。

と、テレビを見ながら、マヤ文明の謎に再び心躍らせようとしていたところ、
テオティワカンの太陽のピラミッドを登りきった安倍首相が、
(登りきって願いをこめるとかなうという言い伝えに合わせて)
「デフレ脱却!」と言うのを聞いて、一気に興ざめした。
posted by ルークブログ at 01:13| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする