2020年07月15日

新常態(ニューノーマル)が組織にもたらす影響 − 組織開発の視点から

超久しぶりにブログを書きます。
コロナという歴史的一大事を前に、OD的に感じたことを記しておこうと。。。

新常態(ニューノーマル)が組織にもたらす影響 − 組織開発の視点から

新常態における組織力の勝負
半年前は「流行が収まるまでの数か月の辛抱だ」と誰しもが思っていた。しかし、今や、アフターコロナなる日が来るのかは定かではなく、ウィズコロナ、つまりコロナと共に新常態(ニューノーマル)を作り上げなくてはならないことだけは確実となった。サプライチェーンやビジネスモデルの再構築といった事業戦略上の課題が企業に重くのしかかるが、組織開発の観点からいうと、やはりリモートワークの導入と定着化が最大の課題であろう。
「通信回線の容量が足りない」や「自宅には作業スペースがない」などといった言い訳は、半年もたった今はもう通用しない。なんとか新常態に移行して数か月、今度は「オンライン会議ではxxxがやりづらい」「バーチャルな職場環境ではxxxができない」といった声が聞こえてくる。しかし、変化がもたらすメリットに目を向けず、デメリットばかりを嘆くのは、どんな変革でもよく生ずる症状。そんな症状を乗り越え、自組織をさらに進化させる梃(レバー)にこの新常態を活用することに集中すべきである。
新常態において、ビフォーコロナの頃と勝らずとも劣らない組織力を発揮できるかどうかが企業に問われる今、組織開発の観点から、この半年間で感じたことや経験したことをいくつか紹介したい。

オンライン会議が組織風土をそっと変えていく
伝統的な日本の大企業では、会議での席順は大事だ。一番「エライ」人が中央に座り、位に応じて順番に座っていく。たかが席次だが、それが、参加者の心理にもたらす影響は少なくないといわれる。末端の席にいる人は、それだけで静かにしていなければならないような心境に陥ってしまう。
しかし、リモート会議では皆が1つの画面に並んでいる。テクノロジーがヒエラルキーを壊すといったら大げさかもしれないが、より自由に意見交換をするには、このほうが適していることは間違いない。

席次の呪縛が解けたとしても、発言者が偏るという問題は起きる。特に立場が弱い人にとっては、リアルの会議以上に、発言するタイミングが難しいと感じるようだ。そこで、便利なのはチャットの活用だ。ファシリテーターが、全員にチャットに意見を書き込むように指示するのである。これまでリアルな場では、我がPFCでは、付箋紙を使って意見収集をするという技を奨励してきたが、それと同じようなことだ。それも、付箋紙では、1つ1つ読み上げたり、後で入力したりすることが必要だが、チャットならその両方の手間が省ける。議論の活性化と効率化の両立に苦慮する会議ファシリテーターにとっては、ありがたいことだ。

大人数を対象にオンラインでパネルディスカッションをモデレートしていたときのことである。「ご意見やご質問をチャットに」と呼びかけたところ、モデレーターである私あてにメッセージを送ってきた人が何名かいた。(ご承知のとおり、チャットの発信先は、全員にも、特定の人物だけにもできる。)もしかしたら、大勢の前に、ご自身の意見を名前と共に出すのに躊躇があったかと推測し、私が代読させていただいた。こういう声はリアルの場であれば、決して発されることがなかったのかもしれない。声なき声を拾いあげられるというオンライン会議の新たなる魅力に気づいた瞬間だった。

オンラインでチームビルディング(ZOOM飲み会のことではない。。。)
先日は、ある企業のリーダーシップ・チームに対してチームビルディング・ワークショップをPFCが担当させていただいた。そのようなワークショップでは、チームの直面する課題や機会について話し合ってもらうが、議論の活性化や発想の切り替えのためにチームビルディング・ゲームを挟んだりする。リアルな場であれば、手を動かしたり、場合によっては身体全体を動かしたりしながら、楽しい共同作業を通じて、相互理解やチームとしての動き方に関する体験的示唆を得てもらうものだ。さて、これをオンラインでどうやってやるのかという難題に直面したが、我がPFCのコンサルタントが見事にやってのけた。簡単に言うと、パズルの原理を使って絵を完成させる(ただし完成図は事前には示されない)作業を各チームにしてもらったのだが、その仕上がりがチームによってまちまちで、笑いが起きた。そして、ゲームの後には、次の3つの観点から振り返りを行ってもらった。
@ 先が見えない中でチームはどう動いたか
A ITツールを上手く使いこなせたか
B バーチャル・コミュニケーションや役割分担など、オンラインでもチームワークを発揮できたか
そして、新常態でのチームの動き方への示唆を抽出していった。なんでも工夫次第でできるものである。

クリエイティブな作業がオンラインでできないことはない
クリエイティブな作業や話し合いは、リアルに集まらないとうまくいかないとよく聞く。しかし、それは思い込みではないだろうか?
もっとも、実際にものを見たり触ったりしながら作業するハードウェアづくりなら、リアルでないと無理なのはわかる。新常態では、マスクして消毒して検温して集まる以外の答えを私も持ち合わせていない。しかし、それ以外なら、先のチームビルディング・ゲームの例にもあるように、オンラインで「あーでもない、こーでもない」と話し合いながら、何かを創り上げていくことは、やろうと思えばやれる。ホワイトボードのように皆で自由に書き込める機能やアプリなど、世の中には共同作業のための便利なITツールが色々とある。私自身、どちらかといえばITには疎いほうだが、職場に一人か二人いるはずのITに詳しい人や新しもの好きの人に聞いてみることをお薦めする。

ところで、画面越しでは五感が使えないので、他の人たちの気持ちの機微がつかめないことを問題視する人がいる。メンバーの心理状況を把握する必要があるマネージャーにとっては、それは確かに大切なことだ。
しかし、チームがクリエイティブな作業をするときには、むしろプラスに働くのではないか?元来、日本人は空気を読むのが上手い。異文化論の専門用語でいえば、「ハイコンテクスト文化」だ。平たくいえば、上位の人や周囲の人の顔色を伺いながら、言葉を選んで発していく。そして、集団的同調圧力に流されやすく、クリエイティブなアイデアが出にくい面がある。一方、オンラインであれば、出てきたアイデアや意見を文字情報として処理するので、余計な憶測や遠慮なしに受けとめられる。席次によるヒエラルキーがなくなり、周囲の反応を気にすることなく意見やアイデアを出し合う場は、特に日本人にとっては創造性を促す効果があるのではと考えている。

信頼関係構築に飲み会は必要?
つい先日の日経ビジネス・オンライン(2020年6月19日)に掲載された、名著「ライフ・シフト」のリンダ・グラットン氏のインタビュー記事に次のようなくだりがあった。
日本企業の方々と話した際に私は、「なぜ毎晩一緒に飲みに行く必要があるのか」と質問したことがあります。返ってきた答えは、「信頼関係を築くためにお互いのことをよく知る必要がある」というものでした。あまりに多くの時間が必要になりますよね。
新常態で飲み会は最もリスクが高い場の1つだ。では、今後はどうしたらよいのか。
そもそも「信頼関係を築くためにお互いのことをよく知る必要がある」というのは、ハイコンテクスト文化の典型的な考え方だ。もちろん、英米のようなローコンテクスト文化圏でもそれが全く当てはまらないわけではないが、初対面でビジネスの話がとんとんと進むことがありうるのがローコンテクスト文化だ。自分の経験からしても、ビフォーコロナから、海を隔てた相手と電話やメールのみで商談が成立したこともよくあった。それに比べ、飲み会のみならず、何度も相手のオフィスに足を運ばなければならない日系企業との商売は、時間がかかってしかたない。日本企業のホワイトカラーの生産性が低いことが問題視されているが、こんなことからも、その違いは歴然としている。
共有する時間の蓄積が信頼構築に繋がることは否定しないが、それが飲み会である必要はない。何回、一緒に飲んだとしても、しらふのときに相手が自己保身の態度を一度でも見せれば、そこで信頼は失墜する。新常態は、信頼関係構築を含めた様々な側面の本質は何かを再考することで、一気に生産性を高める良い機会ではないだろうか。

ジョブ型への人事制度改革の前にできること
さて、リモートワークでは、上長が部下の仕事ぶりを観察できないので、仕事の成果で評価することが求められるようになる。そして、人事制度の「メンバーシップ型からジョブ型への移行」に関する議論が賑わっている。この議論をするのは大変結構なことだが、人事制度の改革には、大企業であれば数年はかかる。しかし、人事制度が変わらなくとも、上長のマネジメントスタイルを見直すだけで十分に対応はできるはずだ。
ほとんどの日本企業は昭和の時代に目標管理制度(MBO)を導入した。これをきちんと運用すればよいだけのことである。目標管理制度については、「ノルマを押し付ける経営手法」という勘違いも一部ではあるようだが、本来は、社員と組織とで目標を握り、その達成方法を社員が主体的に考え実行していくという趣旨であり、監督管理から社員を解き放ち、主体性を育み、人材育成につなげていくという組織哲学に基づくものである。
最近では、年に一度の目標設定では、変化が速い今日のビジネス状況に合わないという批判もあったが、目標設定を四半期ごとにするとか、ビジネス状況の変化時に目標の再設定を行うとかいうことで欧米企業は対応している。あるいは、若手社員あるいは新入社員は、そうそう自立して働けないということであれば、その人たちの目標設定は週次や日次であってもかまわない。数十年前に導入され形骸化していた目標管理制度を今一度見直し、真面目に実践していくことで、リモートワーカーの管理はできる。


皆がフラットで意見を言い合い、働き方も出てくるアイデアも画一的ではなく多様なものが受け入れられる風土にしたい、組織内の無駄を省き生産性・効率性を高めたい、社員の自立性と創造性を育みたいということは、PFCがこれまでもずっとクライアントから受けてきた相談だ。新常態は、その方向性を妨げるものではなく、むしろ後押しになりうるのではないか。ただし、それは「リモート、オンラインではxxxがやりづらい」という思い込みの制約を各自の頭から取り外すことが前提だ。

ちょう
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2018年12月31日

お犬様リゾート 2018/2019冬編

久しぶりのタンタンです。

2018年末のお犬様リゾートは、箱根のとあるホテルです。

部屋.JPG


ホテル専用のドッグランはこんな感じ。

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お部屋のお風呂には、ステキな犬用バスタブが付いています。

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が、ボクには小さすぎて入れませんでした。

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ボクは右目に腫瘍ができて、11月に目の摘出手術を受けました。
飼い主はパニックっていたけど、左目があるから生活は何も変わりません。
顔はどうせ真っ黒なので、写真撮っても、このとおり代り映えしませんね。
顔.png


2019年が皆さまにおって素晴らしい1年となりますように。
タンタンは2019年もがんばります!
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2018年03月15日

ブラックロックの投資先向け書簡について書いた記事のその後

前回(1月)のブログ記事では、世界最大級の資産運用会社のブラックロックの「To prosper over time, every company must not only deliver financial performance, but also show hot it makes a positive contribution to society”というメッセージを含む書簡についての私見を書いた。(「世界最有力投資家が企業に宛てた書簡の衝撃と日本企業トップへの警鐘」)。
先日、ブラックロック・ジャパンの代表取締役会長CEOの井澤さんとお会いする機会があった。井澤CEOは、私の記事をご覧になっていて、「社会貢献やCSRという言葉で説明するのは不適切」というご指摘をくださった。「ブラックロックが提唱しているのは、本業を通じて社会に貢献することであり、社会貢献やCSRという言葉は、寄付行為といった狭い意味での社会貢献を想起させるので誤解を招く」とのことである。
自分としても、「本業を通じた社会への貢献」を意図して書いていたのだが、確かに誤解を招きかねない部分もあったので、素直に反省したい。

さて、「本業を通じた社会への貢献」が注目されるようになった今日、各社のアニュアルレポートでもそういった記述を目にするようになった。特に、SDGs(国連が定める持続可能な開発目標)への貢献を記すケースがよく見られる。しかし、多くの場合は、後付けではないかと私は睨んでいる。つまり、アニュアルレポートを作成する段階になって、「この事業はSDGsのこの目標に関連しているね」と紐づけを行い記載しているだけであって、事業を立案しているときに、SDGsあるいは社会への貢献についてどれほど意識していたのかは怪しいと思うのだ。そして、SDGsは幅広い分野をカバーしているので、ほとんどの事業はどれかの目標に紐づけることができてしまう。こうした後付け作業を通じて、「我が社は本業を通じてちゃんと社会に貢献している」と慢心してしまう企業が続出することを危惧している。

では、後付け、紐づけで済まさないために、どうすればよいか。ピープルフォーカス・コンサルティングでは、事業がどう社会に貢献できるかを検討する他に重要なことが2つあると考え、それに基づいた研修やコンサルティングを行っている。1つは、自社のPurpose(存在意義)を今の時代に照らし合わせて考え抜くこと。もう1つは、自社の事業が社会にもたらす負の側面にも目を向けることだ。
※詳しくは、こちらの資料(PDFが開きます)のp11をご参照ください。

このPurposeという言葉だが、ブラックロック・ジャパンの井澤CEOとの会話でも、Purposeが今、経営のキーワードとなっていること、和訳に苦労することなどで盛り上がった。なお、私は先ほど文中で、Purposeを存在意義としたが、井澤CEOが投資家に充てたレターでは、「Purpose(=企業理念)」と記されている。
企業理念浸透支援は、弊社の5つの主要サービス領域の一つだが、企業の中に理念に関連する様々なものが社内に乱立していて従業員が混乱している事例によく出くわす。創業理念、経営方針、ビジョンステートメント、ミッションステートメント、行動指針、価値観、何とかウェイ、社会貢献方針等々とぃった具合に種々打ち出されており、訳わからないというのだ。ここにPurposeが加わることで混乱が増すことが懸念される。

しかし、私が思うに(そして恐らくブラックロックも同じと想像する)、求められているのは、こうした種々の言葉の定義作業や作文作業ではなく、根本的な問いを自分たちに投げかけることだ。根本的は問いとは、井澤CEOのレターに書かれている「何のために自社は存在するのか、社会的にどのような役割を果たしているのか、果たしたいのか」ということだ。

そのようなことを考えていた最中、つい昨日、ある外資系企業の経営層の方々とミーティングをしていたときに印象深いやりとりがあった。その企業が着手している抜本的なビジネスモデルの改革について話していたのだが、ある事業部長の方が社長のほうを向いて、こう言った。「Are we purposeful enough?」そして、「我が社にはPurposeがある。しかし我々はそのPurposeを十分に意識し、そのもとで意思決定をし、従業員とそれについて語っているか」という問題提起をされた。私はいたく感心した。

こういうやりとりを日本企業の経営陣のミーティングで目にすることは滅多にない。前回のブログ記事で、「社会的責任について日本企業は欧米企業に学ぶべきではないか」と書いたが、その思いが強くなった一件だった。日本企業がPurposeにどれほど向き合うか、投資家が投資先にPurposeに沿った事業運営をどれほど迫るか、目が離せない。
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2018年01月20日

世界最有力投資家が企業に宛てた書簡の衝撃と日本企業トップへの警鐘

世界最大級の資産運用会社である米ブラックロックが、2018年1月12日付で投資先の企業に送った書簡が大きな反響を呼んでいる。

ブラックロックといえば、日本のGDPを超える規模である6兆ドル超の運用資産を有し、世界中の株式や債券に投資しており、その影響力は計り知れない。日本株も20兆円以上を保有していると言われ、数多くの大手日本企業の大株主となっている。

そのブラックロックの会長兼CEOであるラリー・フィンク氏からの3ページに及ぶ書簡の中で、太字と下線で強調されているのが次の文章である。

「持続的に繁栄するためにも、すべての企業は、財務的業績を上げるだけではなく、どのように社会にプラスの貢献をするのかを示さなければいけない。」(”To prosper over time, every company must not only deliver financial performance, but also show hot it makes a positive contribution to society.”)

このことについて、ニューヨーク・タイムズ紙は、「ウォール街は重大な分岐点に直面し、資本主義の本質が問われることになるかもしれない」(” It may be a watershed moment on Wall Street, one that raises all sorts of questions about the very nature of capitalism.”)とコメントしている。また、フォーブス誌は、「1995年にビル・ゲイツ氏が記した『インターネット到来による大変動』や2007年にスティーブ・ジョブス氏が紹介したiPhoneと同じくらいの衝撃になりうる」とコメントしている。

業績向上と社会貢献の両立とか、「社会課題解決はビジネスチャンスだ」といったことは、私自身は1992年に『勇気の経営』という書籍を出版したときから述べてきたことであるが、ブラックロックの書簡を読んで、iPhoneを初めて手にしたときと同じくらい、いやそれ以上の感動を私も覚えた。
もちろん、私以外にも、「経済価値と社会価値を両立させるべき」と唱える人は、マイケル・ポーター氏のCSV(Creating Shared Value)理論を始めとして、多数いる。しかし、世界最大級の投資家が述べたということは、私が言うのとは訳が違うのは当たり前として、ポーター氏ほどの学者が言うのとも重みが違う。なんといっても、経営者は、社会貢献に取り組まないことの言い訳として「投資家からのプレッシャー」が使えなくなったことが大きい。投資家であるブラックロックは、もっと社会に貢献するよう企業にプレッシャーをかけることを書簡で明言したわけであって、つまり、社会貢献することは投資家の要請に応えることにもなるのだ。
業績向上と社会貢献をトレードオフで考えるのではなく、両輪、すなわち両方がまわっていて初めて企業は前に進んでいけると本気で考えなければいけない時代が到来したことを実感するので、感動を覚えるのである。

さらに、ブラックロックの書簡の中では、投資先の企業における取締役会が、自社の社会における存在意義やコミュニティにもたらす影響について積極的に議論することを促している。これは、ブラックロックが投資している企業で社外取締役を務める自分にも宛てられた言葉として、私も改めて責任をかみしめた。

元々、日本でコーポレートガバナンス改革に火がついたのは、日本の株価が一向に上がらないことに政府や東京証券取引所が抱いた危機感からだった。そして、社外取締役には株主利益を守ることが期待された。以前の日本企業は株主軽視気味であったから、そうした是正が必要だったことには納得しているが、一方で、株主への財務リターンを大きくすることだけが社外取締役の役割であるかのような論調に、私は違和感を抱いていた。そこで、私自身は、取締役会にて社会的責任に関する発言を時折してきたのだが、「強く主張した」とまではいかないところが自分に対して歯がゆい。それでも、ある企業のアニュアルレポートの各社外役員の参加状況に関する記載で、「社会的責任の観点から発言している」と自分のことが紹介されていた。

ところで、こういった話になると、「そもそも日本企業は社会に対する貢献というのを重視してきたのであり、軌道修正すべきは株主偏重の欧米企業だ」と胸を張る日本人の経営者が少なからずいる。その一方で、グローバル・ネットワーク・ジャパン等の会合では、日本企業のCSR担当者の殆どが「悩みはトップのコミットメントが得られないこと」と言うのを耳にしてきた。ちなみに、外資系担当者は、「トップから『やれ』と明示されているので、やっている」と言う。昨年のサステナビリティ・ブランド国際会議で登壇した海外の有識者も「今回、来日して、日本企業の人から受ける質問は『どうやってトップのコミットを得たらよいのか』ばかりで、驚いた。欧米では聞かれない質問だ」と言っていた。

もっとも、この種の傾向は、社会貢献に限らず見られる。横並び意識の高い日本企業は、何事も「他社がやっている程度にやる」傾向がある。そして、欧米企業でも社会貢献に興味ない企業も多数ある。ただし、やるときはトップが自らの意思で独自に取り組もうとするという違いだと思う。そうしたトップが率いる企業の社会貢献への取組みは、日本企業のそれより、はるかに先を言行っている。
また、味の素、キリン、住友化学など、CSRに先進的な日本企業は、そうなったきっかけはトップが海外で刺激を受けたことという。「社会貢献について欧米企業は日本に学べ」などと言っている場合ではない。

日本企業は、デジタルテクノロジーの大転換に乗り遅れた。「社会貢献は日本企業のほうが進んでいる」という昭和の感覚のままでいる経営者が多いようでは、この分野においても世界から取り残されてしまうことを危惧する。ブラックロックという黒船が、日本企業の目を開かせてくれることに期待しよう。

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2017年11月30日

2度目のシリア難民キャンプ訪問記

子供たち.bmp (c)JEN

JENの代表理事として、ヨルダンにあるシリア難民のキャンプ(ザアタリ難民キャンプ)を4年ぶりに訪問した。2013年に訪れたときは、シリアから逃げてきたばかりの人たちが多く、そこで感じたのは憤りや怒りだった。自国民を虐殺するアサド政権と、そのアサド政権を野放しにしておく国際社会に対して憤りや怒りである。
シリアが内戦に入って6年がたった今、人々はその現実を静かに受け入れているようだ。意外にも難民キャンプの中では、多くの笑顔が見られ、女性は着飾り、子供たちは「ハロー」と声をかけてくる。基本的には難民の人たちがいかに普通の暮らしを求めているかを肌で感じる。

最盛期には10万人以上がいたザアタリ難民キャンプだが、今は約8万人となった。そして、国連や支援団体によって、少しずつキャンプ内の生活環境が改善されているし、難民たち自身も自分たちでできる限りの工夫を凝らしている。

おうち.JPG 中庭.JPG

訪問したこちらの「お家」(といっても6畳一間の小屋)では、素敵な中庭があった。
住民の男性は父子家庭なのだが、子供3人を抱えてシリアの村から村へと逃げ回りながら、3年前にザアタリ難民キャンプに辿り着いたと言う。

お父さん2.jpg

難民の中でもそれなりに格差があり、彼は「脆弱な層」に当たるそうである。JENでは、特に脆弱な層に目を向け、取り残されないように支援しているが、過度な支援は依存心が高まり自尊心が失われるので、難民が互いに助け合う仕組みや土壌を作ることに注力している。彼は、シリアでは石膏大工だったそうで、そのスキルを活かして、「より脆弱な層」の小屋の修理を手掛けている。つまり、彼は「人を助ける」ことで自尊心が強まり、そして「より脆弱な層」の人は助かるというWin-Winの効果が得られる。
彼は、故郷を想う気持ちは強いが、シリアに戻る気にはなれないと言う。「自分がシリアを逃げ出したあと、自分の兄弟たちが殺された。戻ったら自分も命を狙われるのではないかと思う」というのだ。
話を聞いている間、彼は私たちにお茶をふるまってくれた。アラブの人はものすごくホスピタリティがあり、自分が難民の立場でも客人には茶をふるまいたいというわけだ。そして、最後に「JENさん、どうかこの難民キャンプにずっと居てください」と言った。泣ける。

次に訪れた「お家」は、「恵まれた(??)層」だった。
お母さん.jpg

本当はルール違反らしいが、他の世帯から小屋を買って、くっ付け、1DKのお家に仕立てた。ただし、子供4人の6人家族である。6人が6畳のベッドルームに寝るのだから、狭すぎることには変わりない。
この6人家族は2012年にこの難民キャンプに来た。しかし、あまりの生活環境の悪さにキャンプを出て、ヨルダンの南部のほうに移り住んでいたという。確かに2013年に自分が訪れたときでも、キャンプ内にトイレは100人に1つしかなく、ほとんどが壊れているという状況だったのだから無理もない。やがて、貯金がどんどん減っていく一方で、キャンプ内の環境はだいぶ改善したという噂を聞いて、2年前にキャンプに戻ってきたという。
こちらのお家では、コーヒーをふるまわれただけでなく、「ランチを食べていきなさい」と言われた。しかし、「支援団体が難民にご馳走してもらってはいけない」という国連のルールがあるため、残念ながら断るしかなかった。
お母さんは、JENが主催する衛生促進プロジェクトに参画しており、「コミュニティ衛生プロモーター」として、キャンプ内の啓発活動に取り組んでいる。キャンプの環境はだいぶ改善したとはいえ、汚水・排水が溢れたりして、清潔には程遠い。小屋は密集しているので、病気の蔓延は速い。衛生教育が欠かせないのである。
常駐しているJENの日本人職員によると、このお母さんは大活躍しているそうであるが、シリアにいたときは、専業主婦でいつも家にいて、コミュニティ活動をしたり、人前で話したりしたことはなかったという。なので、コミュニティ衛生プロモーターになるべく手を挙げるには、かなりの勇気がいったそうだ。ちなみにこの仕事はボランティアで、お金はもらえない。それでもなぜ手を挙げたのかと聞くと、「少しでも人の役に立ちたかったから」と答えた。

難民の支援のためには、こうした直接的な支援だけではなく、ホスト国(=ヨルダン)への支援も極めて重要だ。ヨルダンの人口は945万人であり、人口の約1割にあたる数のシリア難民を受け入れている。ヨルダンにいる難民のうち難民キャンプにいるのは12%だけで、それ以外はアンマン市内やヨルダンの各地に流入している。ヨルダンの社会的負担たるや限界に来ていることが危惧される。
実際、ある中流階級のヨルダン人のお家にお邪魔したとき、その家族の人たちが口々に不満を語った。「シリア難民がたくさん来たので、仕事が奪われているし、物価や家賃が上昇している」と言うのだ。
このような不満を軽減し、「シリア難民を受け入れてよかった」と少しでも思ってもらうために、国際機関やNGOはヨルダン人にもメリットがあるような支援活動を展開している。JENが取り組んでいるのは、ヨルダン全域の学校に対する教室の増築や水衛生施設の増築・改修、そして衛生教育の促進だ。

学校.jpg (C)JEN

アンマン市郊外の男子校と女子校を訪問したが、狭い教室に多くの生徒が詰め込まれ、肩と肩がくっつく距離で座っている。これでは病気の伝染はあっという間だ。そこにシリア難民の子供も加わるのでパンクする。そこで、2交代制をとっている学校もある。
女子校では、廊下や教室は、女子校らしく可愛い絵やポスターが壁に貼られていて、教室はきれいだったが、生徒用のトイレを覗いたら、あっと驚く汚さだった。これでは、難民キャンプのほうがましかもしれない。この学校では、JENによる衛生教育がこれから始まるところということで、次にまた訪問することがあったら、衛生教育の効果でトイレがキレイになっていることを期待したい。

それにしても、ヨルダン人の子供たちも人懐っこい。「ハロー」と声をかけてくるし、遠くにいる子たちは手を振ってくれる。

テロは絶えず、国際情勢も益々不安定化しており、こうした支援活動に終わりは見えない。しかし、たまたま難民となったシリアの人たちと、それを受け入れたヨルダンの人たちと、日本との草の根レベルの交流が行われることで、日本との絆が少しでも生まれることが、まわりまわって日本の国益にもつながるはずだということを、子供たちの笑顔に見てとれる。何しろ、欧米ブランドや韓国ブランドは多く見かけるのに、日本車が多少走っている以外は、ビジネス上の日本のプレゼンスは全く見られず、支援活動が彼らと日本の接点なのだから。

難民のため、日本の国益のために、ご寄付のご協力いただけたら嬉しいです。
http://www.jen-npo.org/jp/contribute/index.php
posted by ルークブログ at 03:12| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする