2023年02月07日

PFCがBコープ認証企業になりました!

我が社、ピープルフォーカス・コンサルティング(以下PFC)は202326日にBコープ認証を取得しました。Bコープ認証については昨今、メディアなどで頻繁に取り上げられるようになり、ご存じの方も多いかと思いますが、BはBenefit for All(全ての人への便益)の頭文字、コープはCorporation(企業)のことであり、社会や環境に配慮した公益性の高い企業に与えられる国際的な認証です。株主のみならず、従業員、顧客、取引先、地域社会、地球環境といったすべてのステークホルダーに対するBenefit(便益)を重視した経営を実践していることが求められます。

Bコープ認証の基準はとても厳格で、そう簡単に取れるものではありません。20231月時点では、世界で5925社が認定されていて、日本企業の中ではPFC20番目の認証企業となりました。

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なぜBコープ認証を目指したか

PFCは創業したときからBコープ的な会社になることを志向していました。創業者である自分は、今から30年前イギリスにいた頃にボディショップという会社を知り、ビジネスと社会貢献は対立するのではなく、両輪として共存しうることに衝撃を受けました。そこで、そうしたビジネスモデルを自分なりに少し研究し、『勇気の経営』(日本能率協会出版)という本を1992年に執筆しました。

1994年にPFCを創業してからは、毎年の売上の1%を社会貢献に充てる方針を立てたり、CSVCreating Shared Value 社会価値と経済価値を両立させる事業)リーダー育成事業を行ったりと、PFCなりの社会貢献の方法を模索してきました。

近年は、国連のSDGsESG投資、サステナビリティ経営、ステークホルダー資本主義などといった考え方が広くビジネス界に浸透してきました。大半の企業が、社会貢献を標榜するようになった一方、「言っているだけ」「やったふり」ではないか等SDGsバッシングといった批判の目も向けられるようにもなりました。

翻って、PFCはどうか。やっているつもりでも、世界的な基準と比較して十分と言えるのか、他社と比べても誇れる水準になるのか。そのように考え、自社を客観的に検証し、足りない部分があれば改善するために、Bコープ認証を目指すこととしたのです。


2年越しの旅

Bコープ認証を目指すことを社内に提案したのが、20211月。翌月には、社内にタスクフォースが組成されました。タスクフォースに参加する志願者を募ったところ、約4割の社員が手を挙げてくれました。約2か月間のフェーズ1では、Bコープ認証の仕組みや各基準についての理解を深めたのち、PFCが改善したり新たに取り組んだりする必要がある項目について洗い出しを行いました。

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その結果、約30の改善項目や新たに取り組むべき項目が特定され、実行に向けたフェーズ2では、社員全員が活動に参加することに。フェーズ2の活動の様子については以前の記事を参照いただきければと思いますが、自分として何よりも嬉しいのは、このBコープ認証は全員の努力により勝ち取ったものである形にできたことです。

こうして、半年間の改善実行活動を経て、予定通り、2021年内の申請を果たすことができました。

申請してから審査が始まるまでの待ち時間が長いことは、Bコープの審査サイトにも書いてありましたが、その間も、新たな慣行や制度運営をどんどん実施・継続してきました。こうして待つこと10か月、ようやく昨年の9月に審査開始の通知がありました。

いざ審査が始まると、追加情報、補足情報を次々と要求されました。1次スクリーンといえるEvaluationステージを通過すると、Verificationステージに進み、審査で回答したことの裏付けとなる資料を提出することが求められます。かなりの労力を伴う作業です。それらの情報や資料を基に、先方のアナリストが、各項目が本当に基準を満たしているかを判断していきます。この審査はシビアで、自己アセスメントでは、認証に必要な80点に達しているつもりでも、この審査の段階で減点されていって、80点未満、すなわち不合格という結果になる企業は少なくないそうです。PFCの場合、自己アセスメントでは85点でしたが、審査の結果、最終的には83.7となり、あまり減点されずに済みました。


Bコープ企業としてのこれから

Bコープ認証に必要なことを整備していくことで、PFCは企業として進化できたことが大きな成果ですが、進化はここで止まってはいけません。3年後には認証を維持するための再審査が待ち受けています。審査基準は年々厳しくなっていると聞いているので、PFCも常にバージョンアップを図っていかなくてはなりません。

それにしても、今回、認証を得たことで、クライアントに対してビジネスを通じて社会課題を解決する組織作りや人材育成のご支援をすることに、今まで以上の自信と確信を持つことができます。私たちPFCは、Bコープの理念である、Make Business a Force For Good (ビジネスを、世の中を善くする力に変える)に邁進していく所存です。


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2022年08月23日

世界の医療を100年支え続ける日本企業が「飛躍を継続」できる理由

「顧客ではなく社会を見る」

筆者は今年、(一社)100年企業戦略研究所の理事に就任したのだが、折しも、筆者が社外取締役を務めるテルモ(株)が昨年に創立100周年を迎えた。テルモは、100年の長きに渡って続いただけではなく、年商約7,000億円のグローバルな大手医療機器メーカーにまで成長した。そこで、本稿では、テルモをケーススタディとして、飛躍する100年企業の鍵を考察したい。

テルモは1921年に体温計メーカーとして誕生した。スペイン風邪の猛威の中、第一次世界大戦の影響で体温計の輸入が途絶え、待望されていた体温計の国産化に成功したのが、テルモだったのである(注:当時の社名は赤線検温器株式会社)。

続きはこちらで:
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2022年04月28日

ハーバードと奴隷 ―D&Iの不都合な真実に向き合う

あらゆる組織が、ダイバーシティ&インクルージョン(DI)、そして最近はエクイティへのコミットメントを表明している。特に、ここ数年はBlack Live Mattersムーブメントの影響で、アメリカのリーダー層は、自分の組織においては全ての人種を公正に扱う旨のメッセージを、躍起と感じられるほどに発信している。

私の母校のハーバードも例外ではなく、学長をはじめとしたリーダーたちから、いかにハーバードが多様性を大切に思っているか、そのために講じている様々な施策についてのメールが卒業生宛てに頻繁に送られてくる。

ところが、昨日、ハーバードから届いたメールは、いつもと違った。ハーバードと奴隷の歴史的経緯の調査報告書ができたという連絡だったのだ。一般的には、奴隷制といえば、米国の南部で行われていたことであり、ハーバードが所在するマサチューセッツ州などの北部の地域は、南北戦争を通じて奴隷解放をした側だったと認識されている。が、その北部も、そしてハーバードも、実は奴隷に深く関わってきたという事実に目を向けようというのが調査報告の趣旨だ。

報告書には、今日の感覚からするととても受け入れ難い黒人や先住民に対する慣行が赤裸々に記述されている。奴隷たち、そして奴隷を搾取していた白人たちの個人名も出てきて、リアリティさが増す。これを読んで気がめいってしまったときのメンタルサポートの窓口がメールに掲載されているほどである。

報告書は約130頁にも渡り、私自身、全てを読み切れていないが、サマリーをさらに要約すると、ハーバードは次の点で奴隷制の責任を負っているとしている。

  • 70人以上におよぶ奴隷の使用
  • 奴隷制で財を成した人からの寄付金の授与
  • 奴隷撲滅運動の抑止
  • 「人種科学」の名のもとに行われた虐待的な「研究」
  • 奴隷制廃止後にも続いた人種隔離、排除、差別などの慣行 

この報告書(Report of the Presidential Committee on Harvard & the Legacy of Slavery)はネットから誰でも閲覧できるし、SNSの拡散ボタンまで付いている。

なぜ、ハーバードはこのような不都合な事実を調べ、恥さらしを厭わず情報公開と発信まで行うのか。

その理由について、ハーバードからのメールにはこう綴られている。

Veritas(ギリシャ語で、「真理の探求」を意味する)をモットーとする学術機関の一員として、ハーバード大学の今日の強みが、人間の隷属と、それを根付かせるシステム(ビジネスを含む)の上に築かれたことを認め、理解することは、私たちに課せられた責務です。私たちが過去の悲劇的な過ちから学ぶことができるのは、真実とともに、また真実を通じてのみなのです。

 (ハーバードのVeritasのロゴ)

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報告書は、歴史を振り返るだけではなく、今日の課題として、黒人の学生は、ハーバードの教育へのアクセスを得たものの、キャンパスで孤立感を感じることがあり、インクルージョンの改善が必要であることにも触れている。また、最終章では、今後に向けた7つの提言で締めくくっている。

これまで、あちらこちらから送られてきた美辞麗句に溢れたDIのメッセージのどれよりも、今回のメールは強いインパクトがあった。米国における奴隷制など、過去のことであり、海外の話であると退けがちだが、黒人や先住民を踏みにじることで繁栄したキャンパスで自分は学んだことを突き付けられた。そして、ハーバードの、DEIDiversity, Equity & Inclusion)への本気度を思い知った。

日本企業のほとんどが、ダイバーシティ推進を表明している。していない企業を見つけるのが難しいくらいだ。そして、その表明文は、お決まり文句のごとく、似たようなものばかりである。「右に倣え」ということでダイバーシティ推進を掲げている企業が少なくないのだろうと思わざるをえない。そんなことだから、某牛丼屋の役員の失言のような、目を覆いたくなるようなことも起きたりするのか。

本気でやるなら、日本の社会やビジネスにおいて、ダイバーシティが妨げられてきた歴史の責任は自分たちにもあることを認め、組織内の過去の慣行を振り返り反省することから始めてはどうだろうか。

 

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2022年01月31日

牛が次の石炭? 〜地球温暖化防止の新たなる動向

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“Cow is the new coal”
先般の記事で、自分は、地球温暖化対策のために「肉食を減らす」ということを目標に掲げている旨を書いた。畜産業は環境への影響が大きいし、中でも牛は温室化効果があるメタンを排出するからだ。「あなた一人がそんなことをやったところで意味ない」と鼻で笑うことなかれ。最近、45兆ドルの資産を運用しているFAIRR Networkという団体が「Cow is the new coal」と称してから、投資の世界において、牛、そして酪農業の行く末に注目が集まり始めているのだ。

投資の世界が注目といっても、酪農業に投資しようということではない。その反対で、酪農業は現在の石炭業界のように、投資撤退の対象となり、座礁試算(=社会の要請など様々な状況が激変することにより価値が大きく棄損される資産のこと)になるリスクがあるという警告だ。

メタンは二酸化炭素より25倍の温室効果があるそうだが、FAIRR Networkによると、世界の牛や畜産が排出するメタンの量は、世界の人為的な排出量の44%を占めているそうだ。その量は、全世界の飛行機、自動車、鉄道から排出される温室効果ガス量をも上回っており、さらには年々増加しているという。

それゆえ、昨年11月に開かれたCOP26においても、食に関わる企業がメタン排出削減の対策に動く必要性が叫ばれた。しかし、メタン排出削減に向けた企業側の動きはにぶいとFAIRR Networkは糾弾している。たとえば、グローバルな食肉メーカーと酪農業者のうち、メタン排出量のトラッキングを行っているのは18%に過ぎないという。

それでも、植物由来肉と培養肉から成る代替肉の世界における市場規模は今や2500億ドルを上回る。そして、2030年には約1.8兆ドルにまで急速に伸びることが予想されている(主所:矢野経済研究所)。既存の企業の動きがにぶくとも、欧米のミレニアル世代の間では肉食離れする人が増えており、代替肉メーカーの新興勢力が台頭し、市場を席捲しているということであろう。

また、ヨーロッパの一部の国では、「肉食税」なるものを検討しているという話もある。今のエネルギー業界や自動車業界に走る激震に近いものが、近い将来に畜産業界や食品業界を襲うことになるのかもしれない。

薄い危機感の日本
翻って日本では、一人当たりの肉の消費量で見れば、欧米人の半分以下だからか、罪悪感も危機感も薄いようである。たとえば、COP26の報道をとっても、脱炭素のために、再生エネルギーに舵をきるのか、それともアンモニアの技術を使って二酸化炭素を排出しない方法で石炭火力を続けるのかといった議論は盛んだが、「牛」問題に関する報道はほとんど目に留まらない。

「米国と比べたら日本人の一人当たりの電気使用量は少ない」と日本の経済人らが世界の脱炭素の流れを他人事のように見ているうちに、日本はエネルギー産業構造の変革に乗り遅れ、ついには脱炭素後進国の烙印を押されるようになった。その二の舞にならないか心配だ。

数年前のことだが、ある食品メーカーのESG戦略のプレゼンテーションを聞いたことがある。そのメーカーは、「我が社は多くの家庭の食卓に美味しい食事をもたらし、家族の団欒を育んでおり、SDGsに大きく貢献している」と胸を張っていた。家族の団欒はよいのだが、それよりも、SDGsに貢献したいならもっと大事な問題が様々あるのではないかと、自分は首をかしげた。たとえば、その食品メーカーが提供する肉製品でどれだけのメタンガスを排出しているのか、その削減にどう取り組むのか、家畜の大量生産・大量消費にストップがかかったときに事業はどうなるのか、という課題を検討し情報開示するべきではないかといったことだ。日本企業のスタンスとグローバルなトレンドとのずれを感じたものだった。

問題は肉だけではない
さて、自分自身は肉食を減らすことにしたわけだが、困ったことに、問題は肉だけではない。地球温暖化とは別問題だが、水産業においても、海洋生態系保全や、水産業界の劣悪な労働環境(人権問題に関わる)といった問題が指摘されている。さらに、2019年には、BBCが放映した鮭の養殖の実態をあばく番組が世間に衝撃をもたらしたと耳にした(自分はその番組は見ていない)。
以前、ストローが鼻にささった亀がネットの動画が拡散したがきっかけで、海洋プラスチック問題が大きくクローズアップされるようになった。鮭の養殖について同じようなことが起きないともいえないだろう。

フレキシタリアンならなれる
肉も魚もだめとなったら、生きていけないではないかと心配になるが、そんなことはないようだ。実際、ヴィーガンやベジタリアンの人たちは肉も魚も食べずにちゃんと生きている。しかし、全く食べないのは自分にはハードルが高すぎるし、必ずしも肉や魚を食べること自体が罪とは思わない。問題を引き起こしているのは大量生産、大量輸送、大量消費だ。せめて一人ひとりが、食物ロスに気を配り、少しでいいから肉を食べるのを控え、なるべく地元の食材を食べるようにすれば、地球への負担をだいぶ減らすことができるはずである。

ちなみに、自分のように、たまにだけベジタリアンになる人のことを「フレキシタリアン」というそうだ。フレキシタリアン、なってみませんか?

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2021年11月18日

COP26とPFCの脱炭素戦略

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2021年11月13日、予定より1日遅れでCOP26 (第26回国連気候変動枠組み条約締約国会議)が閉幕した。一昨日、これに現地で参加していたジャーナリストの方からその体験談を詳しく聞く機会があった。帰国直後だったこともあり、興奮冷めやらぬ様子で、会場内外の熱気にどれだけ圧倒されたかを語ってくれた。
特に開催国のイギリスは、EU離脱後に国際的主導権を発揮する千載一遇のチャンスだと、官民あげて相当な力の入れようだったという。たとえばBBCは、オリンピック並みの報道体制を組み、連日連夜、会議や市民活動の様子を放映していたそうだ。
特に印象的だったのは、気温上昇1.5度までのコミットメントと脱化石燃料の動きの2点とのことだ。2015年のパリ協定では、気温上昇を2度以内に抑えることが合意され、1.5度は努力目標という位置づけであったが、その後のIPCC(国連気候変動に関する政府間パネル)の研究調査により、1.5度と2度では大きな違いがあることが判明し、目指すべきは1.5度以内であることがコンセンサスとして強調されていたという。脱化石燃料の動きについては言うまでもない。
そうした状況下、岸田首相による演説はまったくもって的外れだったという。1.5度への言及がなかったのと、アンモニア等による石炭火力発電で貢献すると言ったからだ。そのジャーナリストの言い回しをそのまま使うと、「途上国ならまだしも、先進国たる日本が石炭火力の維持を唱えたとは。それも『どや顔』で。『いったい、どの口がそれを言う?!』と思った。各国の反応も『この人、何言ってるの?』という感じだった」
アンモニア活用による石炭火力発電の是非について論じるほどの技術的知識を私は持ち合わせていないので、これに関するコメントは控えるが、温暖化対策に向けて世界の動きが加速化している中、日本が取り残されていくことへの危惧は強く感じる。多くの企業経営者も同様だろう。中には、日本の環境対策は世界的にも優れていると主張する高齢の元経営者もいるが、それは昭和までの話であり、もはや錯覚である。たとえば、COP26でも、複数の環境NGOが行った各国の気候変動対策の評価によると、日本は61か国中45位だった。
その日本でも、多くの企業は、脱炭素宣言をしているが、たいていはその期限を2050年あたりにしており、現経営陣が責任をもって行う立て付けにはなっていない。しかし、今朝の日経新聞の報道には少し勇気づけられた。同社調査対象企業のうち、43社が2030年代までに脱炭素実現を宣言しているという。(もっとも気候変動問題の切迫度を考えれば、たった43社で喜んでいる場合ではないが。)

翻って我が社といえば、多くの二酸化炭素を排出するような業種でもないので、これまではあまり当事者意識もなく、対策といえば紙のリサイクリング程度のことしかしてこなかった。しかし、今年、Bコープ認証を目指すことになったことをきっかけに、「環境分科会」なるものが組成され、電気、ガス、水道、廃棄物などのデータを精査し、このたび削減目標が打ち立てられた。電気は再生エネルギーに変え、ガスの使用は止めることで、スコープ1と2のレベルにおいて、概ね「脱炭素」が来年にも実現できる。
また、我が社の年度は1〜12月で、もうすぐ、各社員が来年の個人目標を検討し始める頃だが、今後は、それぞれが、通常業務に加え、環境と社会に対しどう貢献するかの目標も設定することになった。ちなみに、私の今年の個人目標は、「週に1度はベジタリアン」というものだ。畜産業は環境への影響が大きいし、牛のゲップは、二酸化炭素より25倍の温室化効果があるメタンを排出するとされているからだ。私は無類の動物好きで、アニマルウェルフェアという観点からも、肉食を減らしたいと思っている。
同様の理由から、かのポール・マッカトニーは「ミートフリーマンデー運動」(月曜日は肉を食べない運動)を2009年から呼び掛けている。
正直いうと、今年度は、私の目標達成度合いはあまり高くなく、実績は2週に1回くらいになっている。来年度こそは、この目標を完遂したい。我もと思う人がいれば、是非、一緒に頑張りましょう。
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2021年10月21日

社会価値創造事業リーダーは聖者か鬼か

先日、弊社シニア・コンサルタントのマイケル・グレイザーが、自身が運営しているポッドキャストでアダム・カヘイン氏をゲストに招きインタビューを行った。
アダム・カヘイン氏といえば、世界中のファシリテーターの間でレジェンド的存在である。南アフリカのアパルトヘイト(人種差別と隔離の制度)撤廃や、コロンビアにおける内戦終結など、長年に渡って世界各地における社会問題の解決にファシリテーターとして貢献してきた実績を有している。ポッドキャストでは、そんな彼が、ファシリテーションの極意を語っているのだが、その本筋から少し逸れて、マイケルがソーシャル・エンタープライズ(社会価値創造に取り組む組織)について尋ねたときのカヘイン氏の回答の中に、私が興味を惹かれたコメントがあったのでご紹介したい。

それは「ソーシャル・エンタープライズでは、指示命令型のマネジメント・スタイルはあまり通用しない。それでいて、ソーシャル・エンタープライズには、部下を酷使しようとするリーダーが少なくない」というコメントだ。弊社や私自身が数々のNPO団体と関わってきた経験からして、大きくうなずけるものであった。
まず、ソーシャル・エンタープライズではなぜ指示命令型のマネジメント・スタイルが通用しないかといえば、そうした組織に属している人たちは社会課題解決を使命と感じて働いているからだ。あるNPOの職員は、ずばり、「I don’t work for my boss. I work for my beneficiary」(私は上長に仕えているのではない。受益者に仕えているのだ)と公言していた。一般企業に当てはめれば、上司の顔色をうかがうのではなく顧客の方を向いている、というわけだから、理想的な社員のようにも見えるが、組織として動こうとするときに足並みがそろわないので、こういう人は厄介な存在となり、「問題社員」のレッテルを貼られかねない。
また、金銭が主たる動機付け要因ではない人たちなので、成果連動のインセンティブのシステムも、一般企業ほどの効果を発揮しない。これらのことから、ソーシャル・エンタープライズにおける人材のマネジメントは、一般企業のそれよりも数倍難しいと実感している。

次に、ソーシャル・エンタープライズのリーダーに部下を酷使しようとする人が多いとは、どういうことか。カヘイン氏は「『自分たちは世の中にとって善いことをやっているのだから』という想いが強く、当然のようにメンバーに仕事をどんどんと押し付けてしまいがち」と述べている。
さらに、私自身の観察からすると、ソーシャル・エンタープライズのリーダーらは、溢れんばかりの社会課題解決に向けた情熱を持っている。これまた、一般企業においては優れたリーダーの在り方というように言われるが、その情熱が職員の心に火をつけるのを通り越して、心を焼き尽くしてしまっていることがある。弊社の研修では、「リーダーたるもの常にビジョンを語るべし」と教えているが、あるNPO団体のリーダーの方は「私がビジョンを語れば語るほど、職員たちは引いていくのです」と悩みを吐露し、私は絶句してしまったことがある。

かくして、社会のために力を尽くしているということで対外的には聖者のように称賛されているソーシャル・エンタープライズのリーダーが、組織内では「鬼」呼ばわりされていることもあるのだ。

奇しくも、つい1か月前のことだが、弊社主催のあるセミナーでゲストスピーカーに招いたソーシャル・エンタープライズの経営者の方が、その体験談を赤裸々に語っていた。この企業は、現在はCSV企業(※CSV=Creating Shared Value)として大きな成功を収めている。つまり、途上国での貧困問題に大きな貢献をしつつ、商業的にも成功している。ただ、創業して間もないころ、彼は「公開裁判のような目に合った」と言う。従業員らに呼び出され、「人が次々と辞めていくのは、あなたのせいだ」と責め立てられたというのだ。彼は、それをきっかけにマネジメント・スタイルを変え、従業員に対する配慮を忘れないようになり、組織を成功に導くことができた。多くのリーダーが、メンバーからのフィードバックを受け入れ自分を変えることに苦労している中で、この方の変身ぶりは尊敬に値する。

弊社は、いくつかのNPO団体において、エグゼクティブコーチングや、リーダーと職員との対話促進のファシリテーションなどを提供しながら、そんなリーダーたちを応援してきたし、これからも応援していく所存である。
また、多くの一般企業が社会価値創造事業に舵を切っている今日において、NPOリーダーや社会起業家の経験から学べることは多い。彼らの経験談を聞いてみたり、組織的協業なり個人としてのボランティアワークなりを通じて、こういった組織に関わってみたりすることをお薦めしたい。それらの組織が挑んでいる社会課題についてだけでなく、社会価値創出に心を捧げている人たちのマネジメントはどうあるべきかを学べることだろう。
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2021年09月22日

人材に投資しない日本 〜OJT偏重の罠に陥るな

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勤勉で、実直で、他人に迷惑をかけまいとする日本の国民性は世界に誇るべき素晴らしいものだと思う。しかし、国際比較においてビジネスにおける人材力は、相対的な劣化が著しい。過去20年間の名目平均年収は、米国が約8割増、ドイツ、フランスが約5割増であるのに対し、日本は5%減少している。(OECD調べ)

他国より圧倒的に低い教育研修費用
日本人の賃金が伸びないのは、デフレが続いたという背景もあるだろう。しかし、賃金がその人が付加する価値を示す指標の一つとすれば、人材の力が弱まっていることの現れでもあるといえる。いかんせん、日本企業は従業員の能力開発に十分に投資をしてこなかった。
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このグラフによると、GDPに占める企業の能力開発費の割合は、日本は他国より単に低いというより、「劇的に」低い。データは2014年までとやや古いが、様々な情報や肌感覚からして、近年においても諸外国との差は広がることはあれど、縮まってはいないだろう。さらに、その割合が年々下がっていっていることも気にかかる。新卒一括採用し、丁寧に育て上げ、終身雇用するという雇用慣行は、その昔は日本企業の強さの根幹と言われたものだが、「育て上げる」部分は今や見る影もないようだ。
企業が従業員に教育しないとなれば、従業員自身の自助努力はどうか。これまた、ある別の調査結果によると、アジア諸国と比較して従業員があまり自己投資していないことが示されている。
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手厚く教育研修している企業はどこか
では、日本企業が従業員一人の教育研修に投じる金額はどのくらいなのか。厚生労働省の調べによると、従業員一人あたり、わずか1万9千円とのことである(2019年度)。この金額の低さが、先述の国際比較結果に表れているわけだが、もちろん全ての企業が教育研修に力を入れていないということではない。2015年の調査になるが、日経WOMANキャリアの調べによると、一人あたりの研修費が多い企業トップ10は以下のとおりであり、トップ9に外資系企業を差し置き日本企業がランクインしているのは嬉しい驚きだ。やるところはやっているということだ。
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日本人は研修が嫌い?
27年間に渡り、国内外で研修を提供してきた弊社の経験からすると、どうも日本人は研修を受講することはあまり好きではないようだ。他国の人々は、自分がレベルアップする機会だと喜んで受講するのに対し、日本人は「業務で忙しいのに、やれやれ研修かい」というような雰囲気を漂わせていることが少なからずある。
ある企業では、研修を提供するにあたって、「研修と言わないでください」と担当者から言われた。なぜかと問えば、「『研修』と言った途端、皆のモチベーションが下がるから」と言うのだ。この企業は世界的にも有名な大手企業であり、使っている研修業者も名の知れた会社ばかりなのに、である。
研修を好まない人たちの言い分や、先述の教育研修費の低さへの反論として、「OJT(on-the-job training)をやっているし、OJTのほうが有効だ」ということを聞くことがある。しかし、環境変化が激しい今日において、OJTに頼るのは大きなリスクがある。上司が部下に、先輩が後輩に業務をしながら指導をしていくやり方では、従来の業務遂行方法が引き継がれるだけで、やり方に変化が生じないからだ。社会でも、企業でも、リ・スキリングの重要性の高まりは今までとは格段に異なる時代に私たちはいる。

教育研修は費用か投資か
もう一つの課題は、教育研修に投じる資金は、費用と捉えるか、投資と捉えるかということだ。もちろん、財務会計上は費用として計上されるのだが、実質的には将来の企業価値向上につながる投資と考えるべきものである。だからこそ、機関投資家は、投資先のESGに注目し、「S」の重要要素である人的投資に関する情報開示を求めている。
そして、投資と考えるのであれば、それに対するリターンの期待値を鑑みて、投資判断をするし、投資後に効果の検証をすることが求められる。この点においても、弊社の経験からすると、内外の企業に違いを感じる。
欧米の企業は、教育研修のROI(return on investment)を算出することが少なくないのに対し、日本企業でそれをしているところは滅多に見ない。ROIを算出し、教育研修に対する効果を見える化・定量化すれば、日本企業ももっと投資しようという気になるのではないだろうか。

5月の記事「CHROと人事部長は何が違う?」で、人的資本経営の時代が到来し、CHRO(チーフ・ヒューマンリソース・オフィサー)の役割が重要になっていると主張した。各社のCHROには、奮起していただき、従業員の教育研修により一層力を入れ、日本人の賃金も上昇カーブを描くように導いていただきたい。
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2021年08月16日

オリンピックが目指した多様性促進と経営リーダーがすべきこと

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「多様性と調和」のオリンピックから学ぶ
8月8日、2020東京オリンピックが閉幕した。開催前までは、自分は世間一般と同様、「コロナ禍においてオリンピックをやっている場合ではないだろう」と考える派だったが、始まってしまった以上は楽しまなきゃ損と思い、たくさんの興奮や感動をいただいた。
オリンピックは単なるスポーツ大会以上の意義がある。世界が同じ目標やビジョンを共有する場であり、それに向かって挑戦したりメッセージを発信したりする機会だと言われている。2020東京オリンピックは「多様性と調和」をビジョンに掲げたのはよいが、開催前にオリンピック委員会関係者の数々の問題が表に出て、世界中に恥をさらすこととなってしまった。ただ、日本社会にとって多様性尊重とはどういうことなのかを学ぶ良い機会になったように思う。
たとえば、元委員長の「女性は話が長い」失言では、「この程度のことでこんなにバッシングされてしまうのか」と震え上がった男性諸君も少なくないのではないか。企業でも、今や多様性推進をスローガンに掲げていない企業を探すほうが難しいくらいだが、各社において、「多様性促進」というスローガンと実態が乖離していないかを顧みる機会にするとよいだろう。

経営層は「女性活躍推進」にどこまで本気か?
弊社ピープルフォーカス・コンサルティングは、ダイバーシティマネジメント研修などの多様性推進の各種サービスを提供して20年近くが経つが、最近は役員層向けの講演を依頼されることも増え、いよいよ多様性も経営マターにまでなったかと感慨深い。多様性とひと言でいっても様々な属性があるわけだが、日本企業にとって喫緊の課題はジェンダー・ダイバーシティ、すなわち女性活躍推進であることは言うまでもない。取締役会メンバーに女性がいなければ議決権行使する海外の機関投資家という「外圧」はもちろん、女性管理職比率などの指標の開示も内外から求められる時代だからだ。
ただ、それほどまでに重要になった女性活用の意義について、経営層はどの程度納得しているのだろうか。もちろん今日の時代にあって「我が社に女性の活躍の場はない」などと口に出して言う経営者はまずいないので、本当のところどう思っているのかは伺い知れない。そこで、最近では、パンデミックで講演会や研修がオンラインになったことの利点を活かし、投票機能を使って「女性活躍推進の重要性はどの程度腹落ちしていますか?」という質問をしてみている。匿名で投票できるので、本音の回答が得られることを期待してのことだ。すると、「あまり納得していない」の選択肢を選ぶ人が一定数いるものの、過半数は「とても納得している」と「まあまあ納得している」を選ぶという結果になることが大半だ。
納得している経営層がそんなに多いのなら、なぜ今だに日本企業において女性活躍推進が亀の歩みなのだろうか。投票を経て、意見交換を始めると、化けの皮がはがれる。ほとんどの人が、女性を活躍させることの難しさやデメリットを挙げるばかりで、具体的な取組みや意気込みを語る人は極めて少ない。やはり実のところは腹落ちしていないのだろう。

納得しているのであれば行動する
腹落ちしていれば、つまり、女性活躍推進が自社の企業価値向上には不可欠だと心底考えているのであれば、それは行動に現れるはずである。実際にそのような人は、たとえば、要職に空きポジションが出れば、女性候補を探す、または探してくるように指示をするといったような行動をとっている。社内からはよく「候補がいない」などといった言い訳が出てくるが、そうしたら「もっと本気で探せ」とはっぱをかける。
また、だいぶ昔の話ではあるが、フォード社がマツダを傘下に収めたとき、アメリカ人経営幹部が、マツダの日本人幹部が全員男性だったのに驚愕して、全女性社員の階級を一律に上げるという荒業に出たことがある。さすがにこの方策は荒すぎて、後には失敗だったと評されているようだが、多様性の重要性に納得している人であれば、具体的に何かをしようとすることのわかりやすい例であると思う。
私はWCD(Women Corporate Directors)というグローバルな女性取締役ネットワークに所属していて、6月にはそのグローバルサミットがオンラインで開催された。そこでは、JPモルガンCEOのジェイミー・ダイモン氏、ブラックロックCEOのラリー・フィンク氏、ダウ・ケミカル元CEOのアンドリュー・リバリス氏といった世界に名だたる経営者ら(男性)が登壇し、それぞれが自分の言葉でジェンダー・ダイバーシティの重要性を語っていた。このような公の場でのメッセージ発信もとりうる行動の一つだ。日本企業の男性経営者も世界に向かって多様性の重要性を語るようになることを願う。

多様な価値観を戦わすことで組織は強くなる
では、なぜ日本では女性活用推進に対する腹落ち度が低いのだろうか。日本社会における女性の立場といった社会的背景の問題はもちろんあるのだが、それ以前に、多様性がもたらす価値を実感・体感する経験が少ないからではないだろうか。日本では、画一性が生み出す効率性による成功体験が染みついてしまっているのだ。しかし、VUCAの時代の今日においては、物事や状況をより多面的に見て、正解がない中でより多様な価値観を戦わすことで進むべき道を見出すことが必要になっている。
「実力本位で人選しないとおかしなことになる」と言う人も多い。もちろん、実力がない女性を登用するわけにはいかない。しかし、アンコンシャス・バイアスによって実力を正しく見抜けていない場合や、同じような「実力」の人ばかりが集まってしまう場合があることを認識する必要がある。『多様性の科学』の著者のマシュー・サイド氏は、「Best & Brightest (最も優秀な)な人たちを集めても、画一的なメンバーだったら、その集団としての能力は、多様性に富む集団に劣る」と主張する。先述のWCDでスピーカーらも、「世の中の人口の半分は女性である。その視点をなくして意思決定をするのは大きなリスクである」と述べていた。

ところで、思えば、オリンピック史上最難関の今大会を導いたのは、都知事、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会委員長、オリンピック・パラリンピック担当大臣の女性リーダー3名だった。World Economic Forumの国別ジェンダーランキングで120位と女性活躍度合いが世界最低水準の日本だが、捨てたものではないことを世界に見せつけることはできたのではないか。


※女性リーダー支援基金の賛同人をやっています。現在公募中です。
女性リーダー支援基金 〜 一粒の麦 〜
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2021年07月15日

人権問題に取り組むのに必要な対話力

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企業が取り組むべき社会課題のひとつは人権に関することである。人権問題としてあげられるのは、過労死や各種ハラスメントといった問題の他に、海外から「奴隷労働だ」と糾弾されている外国人技能実習生の問題などもある。また、2か月前には、自民党がLGBT理解促進法案の国会提出を見送った。LGBTについて理解する気もないのかと、自民党議員らの少数派の人権に対する意識の低さに情けなくなる。一方、企業に目を向ければ、社内研修の実施など、マイノリティや人権に関する取組みは進みつつある。(ちなみに、先日、我が社ピープルフォーカス・コンサルティングは、「ビジネスによるLGBT平等サポート宣言」に署名した。)

サプライチェーンと人権問題
もうひとつ、企業にとって重要な人権問題は、サプライチェーン上の労働者である。自社と取引するサプライヤー(含むサプライヤーの下請け企業)が労働者の人権侵害をしているのを看過してはいけないということだ。たとえば、最近では、ユニクロがウイグル自治区における人権問題に加担しているのではないかと、主にアメリカやフランスが疑いの目を向けている。
サプライチェーンの人権問題が大きく注目されるようになったのは、ナイキの下請け企業が児童労働をさせていたことが発覚した1997年のことだ。決して新しい問題ではない。さらに、2013年にバングラデッシュのアパレル縫製工場が崩落した事故では、世界中のアパレル業者の社会的責任が問われた。
この問題は靴やアパレル業界に限ったことではない。コンゴで児童労働によって採掘されたレアメタルは自動車や携帯電話などに使われているし、ウイグル自治区で作られる太陽光パネルも問題になりつつある。

グローバルにマルチ・ステークホルダーが集う人権のフォーラム
では、重要性と複雑性が増す人権問題に対して企業はどう対応したらよいのか。考え方の枠組みを提示したのがジョン・ラギー教授である。「保護・尊重・救済(protect/respect/remedy)」で構成される枠組みはラギー・フレームワークと呼ばれ、ビジネスにおける人権の分野の支柱となっている。さらに、サプライチェーン上の児童労働など、事業活動に伴う人権侵害リスクを企業が把握し予防や軽減策を講じる「人権デュー・デリジェンス」を実践する日本企業も徐々にだが増えてきている。
2011年の「ビジネスと人権に関する指導原則」制定を機に、国連が毎年開催しているのが「ビジネスと人権の国連フォーラム」だ。世界中から企業、政府、NGO、学会など2000名以上がジュネーブに集い、60以上のセッションが行われる。私は2017年に参加したことがあるが、これだけの人数のマルチ・ステークホルダーによるダイアログはなかなか圧巻であった。この年の中核テーマは、「Realizing Access to Effective Remedy」。つまり、「保護・尊重・救済」のうち「救済」に焦点をあて、ビジネスによって影響(被害)を受ける人を救済する仕組みの実効性についての意見交換が行われた。

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かみ合わなかった日本側と現地人との対話
セッションの中で最も印象に残っているのが、「ミャンマーのティラワ経済特区で影響を受ける人々の救済へのアクセスに関するマルチ・ステークホルダーの視点」と題されたパネルディスカッションである。パネリストとして登壇したのは、ミャンマー人の担当官僚、ティラワ工業団地を管轄する企業のCEO(日本人)、JICAの担当者(日本人)、ティラワ地域の住民活動からの代表者(ミャンマー人)、そしてNGOからの代表者(国籍は不明だが欧米人)の5名。
最初に、二人の日本人から、ティラワ経済特区においては救済の仕組みがいかに”ちゃんと”できているかのプレゼンテーションがあり、それを持ち上げるミャンマー人官僚の発言があった。空気が一変したのは、住民活動の代表者が口火を切ったときだ。彼女は「工業団地の開発により、立ち退きを強いられた人が少なからずおり、不当な扱いを受け、いくら苦情を申し立てても取り上げてもらえなかった」と切々と訴えた。欧米人のNGOの人がそれに加勢し、ここの救済の仕組みは全く機能していないと非難した。
その訴えに対し、日本人のパネリストらは、「問題があれば、いつでも来てください。我々は話を聴きますよ」と返すのだが、二人は「今まで、いくら言っても、聞いてくれなかったではないか」と言い返し、話は平行線を辿った。最後に国連人権ワーキンググループのメンバーの方が「見解の違いが明らかになったのが成果だ」と苦し紛れのクロージングのコメントで締めくくり、パネルディスカッションは終わった。
それは、あたかも、与党と野党のかみ合わない国会質疑を見ているようだった。住民代表の方の訴えがどこまで正当なのか知る由はないが、体制側(日本人らとミャンマー人官僚)がきちんと対話できていなかったのは明らかだった。見解が異なるもの同士で対話を成り立たせるには、意見には賛同できなくても共感を示すことが鍵となる。こうした対話力や共感力を元々有している人もいるが、訓練して身に付けることも可能だ。実際にリーダー教育の一環としてそうしたトレーニングが行われることがある

コロナ禍においても、対話力・共感力のある国家リーダーが上手く国民を導いたことは記憶に新しい。ビジネスリーダーも、人権の「保護・尊重・救済」のために、対話力・共感力を身に付けよう。人権とは、人間らしく尊厳を持って生きることの権利であり、多分に価値観がからんでくる。海外の人の人権となれば、異なる価値観とのぶつかり合いも避けられない。だからこそ、人権問題の対処には対話が不可欠なのだ。

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2021年05月26日

CHROと人事部長は何が違う?

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日本企業において、CHROという肩書きを見かけることが増えてきた。CHROとはChief Human Resources Officerのことであり、最高人材責任者を意味する。(CHOやCPOと呼ぶ例もある。)

なぜ「人事部長」ではなく、「CHRO」なのだろうか?
インターネットで調べると日本語のサイトでは、「CHROは人事部長とは違い、取締役の一員として取締役会に出席する」という的外れな説明が多々出ていて驚かされる。「取締役人事部長」という肩書きがあっても何らおかしくはないし、執行と監督が分離されつつある今日において、CHROが取締役の一員であることは必ずしも求められないからだ。
また、海外では「チーフ〇〇オフィサー」の肩書きが増殖しており、人材系の分野だけ見ても、CHROの他に、Chief Diversity OfficerやChief Learning Officerの職を設けている企業もある。最近の流行りはChief Innovation Officer, Chief Sustainability Officer, Chief Experience OfficerにChief Data Officerだそうだ。やや、「チーフ○○オフィサー」という肩書きの安売りの様相ですらある。これらのチーフらが皆、取締役会の一員になったら、人数が多すぎて大変だ。 

「チーフ〇〇オフィサー」という肩書きの意味するところは、取締役会ではなく経営チームの一員だということであり、それは、会社の業績(財務と非財務)に責任を持つということである。それに対し、「〇〇部長」の責任はあくまでも自分の部署(人事部)に留まるという説明も見るが、そちらのほうがより妥当であろう。
ただし、人事部長らとしては、その定義にも疑問を持つかもしれない。そもそも自分の部署のことだけ見ていればよいなど考える人事部長がいるだろうか。多くの人事部は「人材の面から全社に寄与する」という類いの内容のミッションを掲げているはずだ。
企業の規模が大きく、伝統的な人事業務を担当する人事部に加え、人材開発部、組織開発部、D&I推進室やグローバル人事部など多岐に渡って人材系の部署がある場合、それらを統括するCHROが存在するというならわかるが、そうでない場合は、結局のところ人事部長でもCHROでも本来の役割や変わらないはずである。それでもCHROと名乗るには、人事部長という肩書きに付きまとう負のイメージを刷新するという狙いがあるのではないか。つい先日も、某業界最大手のトップの方が「人事部というのは頭が固く、管理するのが仕事と思っていますからねえ」と語っていた。残念ながら、人事部についてそのように言うのは、この人だけではなかろう。

古い人事部長のイメージから脱却し、経営チームの一員であることが期待されるCHROが台頭してていることは人材開発分野に長らく身を置く者としては喜ばしく思う。
これまで経営トップの両輪とみなされてきたのは、CEO(最高経営責任者)とCFO(最高財務責任者)だった。それが今年に入り、日本のコーポレートガバナンス改革を主導してきた一橋大学CFO教育研究センター長の伊藤邦雄氏は、「これからはCEO、CFO、CHROの3者による連携が必要」と唱えておられる。(参照:「人材版伊藤レポート」が明らかにした人的資本経営の課題とは | Human Capital Online(ヒューマンキャピタル・オンライン))

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このような動きの背景には、最近の人的資本経営に対する期待と認識の高まりがある。そもそも、企業経営の根幹は金融資本(資金)をどう活用するかと人的資本(人財)をどう活用するかの2つにあると言える。金余りといわれる今日において、デジタルトランスフォメーションにせよM&Aにせよ新しい取り組みにあたっては「お金はあるのだが、やれる人材がいない」というのが大方の企業の実態だ。人財不足の問題は、今に始まったことではないが、今日における人財の逼迫度と経営に与える影響は最高レベルになっているのではないだろうか。
投資家が企業の従業員に対する扱いにも注目していることも忘れてはならない。2019年に弊社が主催したグローバルエンゲージメントイニシアチブの会合(リンク)で、ニッセイアセットマネジメントのチーフ・コーポレート・ガバナンス・オフィサー(肩書は当時)の井口譲二氏も「ESG評価が高い企業は株価パフォーマンスが良いことがわかった。中でも、ESGのうちS(社会)の要素が一番効いていた」と述べられていた。いうまでもないが、S(社会)の中には、従業員の扱いにも含まれている。
それだけ経営に重要な人的資本だが、金融資本については細かく情報開示がなされる一方、人的資本については、せいぜい人件費や社員数、女性社員比率程度しか開示されていないのは問題だ。また、統合報告書のESGの「S」のページでよく見かけるのは「従業員向けにこんな取組みをやっています」といったような、採用のためのパンフレットと同等レベルの内容だ。
もちろん、非財務の情報開示のあり方については制度的にも整備が発展途上の状況ではある(注)が、企業としては、それぞれが人財施策のうち何が自社の企業価値向上に結び付くかを検証し、その成果を公表していくことが必要だ。それを始めている企業も出てきている。たとえば、SAPは、@従業員エンゲージメント A経営陣に対する信頼度 Bイノベーション Cプロセスの簡素化 D企業文化の健全度 E従業員定着率 F女性幹部比率 の7つを重要なKPIとし、その7つ全てに対して数値結果を開示している。

また、会社の内部に目を向けると、これまで、人事部長の業績評価は施策の実施の有無などを基に行われてきた。たとえば、人事制度改革を行ったとか、グローバル人財育成研修を実施したとかいったようなことだ。しかし、そこで止まってしまっていては、「自分の部署のことしか見ていない人事部長」と言われても仕方ない。制度を変えたものの現場の実態は変わっていないといったことがままある。やった、やらなかったの次元ではなく、企業価値向上に資する具体的なアウトカムを指標とした目標を掲げ、その達成度で評価されるべきである。そして、ステークホルダーへの説明責任を負う。それでこそCHROと呼ばれるにふさわしい存在となるのではないだろうか。


注)国際標準化機構(ISO)の国際規格「ISO30414」は、コンプライアンスと倫理、コスト、ダイバーシティ、リーダーシップ、組織文化、組織の健康・安全・福祉、生産性、採用・異動性・離職率、スキルと能力、後継者の育成、労働力の11項目を開示情報に盛り込むべきとしている。



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